自然界における生存競争において蝶や蛾は「防禦の武器」を持っていないと言えるでしょう。ハチのような毒針も甲虫のような固いからだや強いあごも持たず、鳥やその他の肉食性の小動物に対してまったく無防備な状態です。しかしながら自然界というのはじつに不思議な世界で、蝶や蛾は身を守る数々の手段をちゃんと用意しています。 「擬態」がそのひとつです。ある種の蝶は幼虫時代に鳥やその他の小動物が食べると苦みやいやなにおいがしたり、嘔吐やシビレやけいれんを起こさせる毒素を含む植物を食草としています。幼虫から成虫になってもこのような成分は体内に保持され、鳥や他の小動物がこのような蝶を食べてひどい目にあうと、その蝶の形や色、動作などを覚え二度と食べなくなるといわれています。 |
未経験のカケスがオオカバマダラを食べる | 毒物のため羽毛が逆立っている | さかんに蝶を吐き出している |
こうした鳥はほとんどこの蝶やこれに似た蝶を食べなくなる |
南米に広く分布するマダラチョウ科のドクチョウ類や、アゲハチョウ科のジャコウアゲハ属が毒性のある成分を含む植物を食草としています。面白いことに、こうした蝶が分布している地域には必ずといってよいほど、違った科の蝶でありながら翅の形、色彩、飛び方までそっくりなものが生息しています。毒性のある蝶を一度食べて懲りた鳥などの捕食動物は、これらの無毒の蝶も食べることはありません。このように無毒な蝶が有毒な蝶に擬態するのを、19世紀のイギリスのナチュラリスト、H.W.ベイツにちなみベイツ型擬態(模倣擬態)と呼んでいます。 このような擬態現象は毒のある蝶どうしの間でもおこります。同じ地域にすむ毒のある複数の種類の蝶がお互いに似かよった姿をして鳥などの外敵に苦い経験をさせる機会を多くし、全体として種族の保護を行っています。これをミュラー型擬態(相互擬態)と呼びます。19世紀のドイツ生まれのブラジルの生物学者であるフリッツ・ミュラーがこの現象を発見しました。相互擬態は南米のドクチョウの間で多く見られます。 |
メスアカムラサキの♀ vs カバマダラ |
有毒物質を含むトウワタ類を幼虫の食草とするカバマダラにメスアカムラサキの雌が擬態するベイツ型擬態(模倣擬態)の代表例です。切手にはありませんが、日本にも分布するツマグロヒョウモンの雌もカバマダラに擬態するといわれています。ところが、ツマグロヒョウモンの分布北限である四国や九州にはカバマダラなどのモデルとなるマダラチョウは生息していません。この場合、南方で有毒なマダラチョウを記憶した行動権の広い鳥に対して有効に働くのだと考えられています。 |
擬態種(無毒) | モデル(有毒) |
メスアカムラサキの♀ Hypolimnas misippus ♀ (タテハチョウ科) |
カバマダラ Anosia chrysippus (マダラチョウ科) |
アンティグア 1975.10.30 セイシェル 1978.4.10 |
サントメ・プリンシペ 1979.6.8 シンガポール 1993.8.21 |
ヘリコニウスタイマイ vs ドリスドクチョウ |
アゲハチョウ科のヘリコニウスタイマイが有毒種のドクチョウ科のドリスドクチョウに擬態する例です。この組み合わせだけで見ればベイツ型擬態(模倣擬態)なのですが、ドリスドクチョウには後翅の色によって3つの型があり(青色、オレンジ色、緑色)、各々の型が同じドクチョウの仲間に擬態しています。例えばオレンジ色の型ではアカスジドクチョウなどに相互擬態(ミュラー型擬態)しています。 |
擬態種(無毒) | モデル(有毒) |
ヘリコニウスタイマイ Eurytides pausanias (アゲハチョウ科) |
ドリスドクチョウ Heliconius doris (ドクチョウ科) |
エクアドル 1970.4 |
スリナム 1972.7.26 |
オスジロアゲハ vs シロモンマダラの♀とホソチョウの一種 |
オスジロアゲハの雌は、一種類で数多くの異なる型があることで非常に有名で、世界中の蝶の中でも他に例がないくらいです。雄はほとんど変化がなく擬態もないのですが、雌には、雄と同じ型で擬態しない種類も含め、様々な型があります。黒地に白い大きな紋があるもの、茶色の紋があるもの、ほとんど茶色のものなど、擬態相手に応じてまったく違う種類のようにはっきりと分かれています。ここにあげたのは、マダラチョウ科のシロモンマダラとアゲハチョウ科のホソチョウ属に擬態する型です。 |
擬態種(無毒) | |||
オスジロアゲハの♀ Papilio dardanus ♀ (アゲハチョウ科) |
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モデル(有毒) | |||
シロモンマダラ Amauris niavius (マダラチョウ科) |
ホソチョウの一種 Acraea lycoa (ホソチョウ科) |
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ギニア 1963.5.10 ガボン 1981.9.10 |
サントメ・プリンシペ 1979.6.8 |
南米のキマダラ模様のグループ |
この南米奥地に生息する一群は、ベイツ型擬態(模倣擬態)とミュラー型擬態(相互擬態)の両方が複雑に入り交じっている典型的な例です。ドクチョウ科とマダラチョウ科の有毒種のグループと、アゲハチョウ科、シロチョウ科、シジミタテハ科の無毒種のグループが相互に擬態しあっています。ミュラー型擬態の例としては、東南アジアのルリモンマダラ属などの例も知られていますが、これほど多くの科にまたがって擬態しあう例は非常に珍しいと言えます。擬態には蝶同士が擬態する例の他にも、ドクチョウに蛾が擬態する例や、ハチに擬態する蛾など他の昆虫に擬態する例も数多く知られています。 |
有毒のグループ | ||||
オオキマダラドクチョウ Heliconius quitalenus (ドクチョウ科) |
トラフマダラ Lycorea cleobaea (マダラチョウ科) |
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ボリビア 1970.4.24 |
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無毒のグループ | ||||
キマダラマルバネアゲハ Papilio zagreus (アゲハチョウ科) |
ベニオビコバネシロチョウ Dismorphia amphione (シロチョウ科) |
キマダラホソバシジミタテハ Stalachtis calliope (シジミタテハ科) |
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ベネズエラ 1966.1.25 エクアドル 1970.7 |
グレナダ領グレナディーン諸島 1975.8.12
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スリナム 1972.7.26 |