ピトケアン島 Pitcairn Island

太平洋の南の果て、タヒチ島のさらに南東2200kmに位置する孤島がピトケアン島です。英国の属領ですが、その成り立ちが極めてユニークです。1789年に起きた英国軍艦バウンティー号の反乱者たちが潜伏した島として知られ、1808年にその子孫が偶然に発見されました。無人島にヨーロッパ系白人とタヒチ人の混血者たちが独自の社会を作り上げた極めて珍しい例です。面積5平方km 人口73人の小さな小さなミニ国家です。


1975.11.9 昆虫切手

ワタアカキリバ
Anomis flava
(ヤガ科)
シロガの一種
Chasmina tibialis
(ヤガ科)
スズメガの一種
Gnathothlibus erotus
(スズメガ科)


バウンティー号の反乱
海軍史上最も有名な反乱として知られています。1789年にタヒチ島のパンの木を採取して西インド諸島に向かう軍艦バウンティー号を、厳しすぎる艦長に耐えかねた副艦長クリスチャン以下17名が謀反を企てて乗っ取り、ブライ艦長以下18名を小型ボートに乗せて大海に追放したというものです。ブライ艦長たちは48日間5800kmに及ぶ漂流の末、当時オランダ領のチモール島まで航海を続けて奇跡的に生還しました。一方、反乱者たちはタヒチ島に戻りましたが、クリスチャン以下数名は女性を含むポリネシア人10数名を乗せ(拉致したとする説が有力)、反乱の翌年1790年1月23日にピトケアン島に漂着し移住を決意しました。しかし、白人とポリネシア人との対立により反乱者たちはほぼ全滅し、反乱19年後に生き残った子孫が偶然アメリカの捕鯨船によって救出されるという結末になりました。生き残っていたのは、9名の女性と23人の子供、そしてたった一人のジョン・アダムスという白人の男でした。なお、ピトケアン島の名前は、1767年に最初に島を発見したスワン号の乗組員ジョン・ピトケアンに由来します。



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